G Clef ― さあ、旋律をはじめよう ―
「演奏きかなきゃよかったな」 学校内なのにラフな格好をした男の子が言う。 音楽科の人たちが小馬鹿にしたように笑うのとは違う、本当に残念だ、というように。 純粋に下手な者を見る目で。 ―― 悔しい 言いたい放題言って、彼が出て行った練習室の扉を睨み付けながら香穂子は初めてそう思った。 今まで音楽科の生徒達に鼻で笑われた時だってそれほど気にならなかったのに。 ―― 悔しい 大体、勝手に入って勝手に人の練習を聴いたくせに。 ―― 悔しい 名乗りもしないで、あんな言い方はないんじゃない!? ―― 悔しい、悔しい、悔しい!! 「今度会ったらぎゃふんと言わせてやるんだからーーーーーーっっっ!!!」 ・・・・と、叫んだところで、目が覚めた。 (確かにそう思ってたはずなんだけど、ねえ) 綺麗な秋晴れの空の下、ヴァイオリンを奏でながら香穂子は今朝の夢を思い出した。 けれど弾き慣れてきた曲とはいえ、意識が演奏から反れれば。 「ヴィヴラートかけ忘れ。」 「あ」 演奏に切り込む様な声に、香穂子は慌てて手を止めた。 そしておそるおそる顔を上げれば目の前には予想通り呆れ顔の衛藤桐也が居た。 その表情が今朝の夢にシンクロする。 「そこのヴィヴラートはおまけみたいなもんだけど、忘れると見劣りするって言っただろ。ちゃんと聴いてたのかよ?」 淡々と説明する言葉もあの時と変わらない気がする。 けれどあの時のように悔しい気持ちはもうない。 (ぎゃふんって言わされたからかな。) 演奏についてのアドバイスを続けている桐也をこっそり盗み見て、香穂子はため息を一つついた。 眉間に皺が寄ったのは二度目の出会いを思い出したからだ。 二度目に会った時、桐也は香穂子の前でそれは見事な演奏をして見せた。 それを聴いた瞬間ぎゃふんっと言わせようと思っていた事など吹き飛んだ。 堂々とした音色。 華やかな表現。 全身で「俺の音だけを聴け」と命じているかような圧倒的な存在感・・・・。 「それがもしやりにくいようなら ―― って、聞いてんのか?」 「へ?あ、ああ、うんうん。」 回想に浸っていた香穂子は急にこちらを向いた桐也に慌てて頷いた。 が、しかしそんな態度で桐也が誤魔化される訳もなく。 「聞いてなかったな。」 「え・・・へへ?」 笑って誤魔化そうとしたら思い切りため息をつかれた。 「俺がアドバイスしてやってんのに考え事とか、良い度胸じゃん。何考えてたんだよ?」 「え?・・・・う〜ん、不思議だなあって。」 「はあ?」 怪訝そうな顔をする桐也に香穂子は笑った。 「だって私、桐也君の第一印象は最悪だったんだよ? それが何がどうしてヴァイオリンを教えてもらうことになってるんだろうなあって思ってね。」 第一印象最悪という評価には覚えがあったのだろう。 桐也は小さく肩をすくめて言った。 「それはあんたがしょっちゅう俺の所へきたからだろ。」 「まあ、そうなんだけど。」 初めて桐也の奏でる音色を聴いて、気が向いたらアドバイスしてやると言われて休日ごとに桐也のところへ通うようになったのは確かに香穂子の方だけれど。 「でも最初はあんなに悔しくて、絶対見返してやるって思ってたのに、気がつけば毎週桐也君の所へ通っているんだもん。」 不思議だよねえ、と本当に不思議そうに呟く香穂子に桐也は面食らったような顔をして。 ―― それから不意ににっと笑って言ってのけた。 「それはあんたが俺に惚れてるからだろ。」 彼の音色のように堂々と、傲慢に。 けろっと言われた言葉のが耳から入って理解するまでたっぷり10秒はかかった。 そして。 「・・・・はあ!?」 香穂子が目を見開いて叫んだのと同時に桐也の笑い声が弾ける。 瞬間的にからかわれた!と悟った香穂子は桐也を睨み付けて叫んだ。 「酷い!突然変な事言わないでよ!!」 「はっ!何だ、違うの?」 「違うっっ!!」 反射的に叫び返して ―― けれど一瞬違和感を感じた。 ―― 悔しいと思いながら桐也を捜していた自分。 音色に惹かれたといいつつ、いつの間にか桐也とのこんなやりとりを楽しむようになった自分は・・・・。 (―― いやいやいやいや!それだけは違うんだから!!) こんなに失礼で、自信家で傲慢な奴を好きになったりしない! ・・・・と、心に妙な力を入れて香穂子はヴァイオリンを構え直す。 話は終わり、の意思表示に視界の端で桐也が笑いを納めているのが見えた。 やっとおさまった、と再び弾き始めた香穂子の耳に音に紛れてしまいそうなほど小さな声が届いたのは、それからすぐのこと。 「・・・・なんだ、違うのか。残念。」 「!」 ―― 好きなのか、嫌いなのか、悔しいのか、惹かれるのか、それはまだ言葉に出来ないけれど。 色んな意味で桐也に振り回されるのは嫌じゃないのが、一番不思議だと再びヴィヴラートかけ忘れて怒られながら、香穂子はこっそりため息をついたのだった。 〜 Fin 〜 |